イーグルモスの『世界の軍艦コレクション』、その後の状況です。
まず『赤城』。昭和16年、真珠湾攻撃時を再現したものです。帰到した飛行機から母艦がわかるように、後部甲板左に赤城の『ア』が書かれています。現在のようにレーダーもコンピュータもない時代、飛行兵は計算尺と海図のみで飛び立った位置とは違う場所に移動している母艦に辿り着かなくてはなりません。空から見た航空母艦は、海に浮くマッチ棒のようなもの。猛訓練の成果なのでしょうが、よくまあ70年以上も昔に凄いことをしたものです。
第二次世界大戦当時、航空母艦を実戦で運用できた国は、アジアではもちろん日本だけ。世界中でもアメリカ、イギリスなど、ほんの数カ国しかありませんでした。
ところでこの『赤城』、実は買ったわけではありません。不思議な縁で私の手許にやって来ました。理由はちょっと書けませんが・・・。
続いて戦艦『長門』。戦時中、大和・武蔵を建造していた事は国民に秘匿されていましたから、多くの国民は『長門』と『陸奥』が聯合艦隊最大の戦艦だと思っていました。1920年(大正9年)竣工、41サンチ砲を8門搭載した、当時世界一の大戦艦でした。改装を重ね、威風堂々たる姿は太平洋戦争開戦の昭和16年当時でも古さは感じさせなかった事でしょう。1942年(昭和17年)、その役を『大和』に譲るまでは、聯合艦隊旗艦として司令長官山本五十六の乗艦でもありました。
モデルは1944年(昭和19年)、捷一号作戦(フィリピンレイテ島攻略を目的とした陸海軍合同作戦)でブルネイ湾から出撃した際の姿を再現しています。
終戦時、長門は唯一残った日本海軍の戦艦でしたが、その後アメリカ軍によるビキニ環礁での核実験において標的艦とされ1946年(昭和21年)7月に沈没しました。
戦艦大和には近代的な機能美を感じますが、長門のフォルムには、どこか日本的な美しさを感じる気がします。