Across the Universe

天文ブログでスタートしたつもりが、いつの間にかB級グルメブログになり、さらにダラダラ日記に変化しつつあります。

2008年11月

シリーズ 好物

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松本市内にあるインド料理のお店『シュプラ』。
10数年前、北深志にあった頃からの贔屓です。現在は蟻ヶ崎、アルプス公園に上がる道沿いにあります。店名の由来は、マスターにインド料理を教えてくれたインド人のおばさんの名前だそうです。

一人で行くときには、『いつもの』というと出てくるのが写真のカリーです。『ミックスムルギカリー辛口ライス大盛』。骨付きチキンにトマト、ジャガイモ、ブロッコリー、ナス、人参、カリフラワー等々が入ったカレーです。セット物もあるのですが、どうしてもこれをたのんでしまいます。実に美味い。

同僚と何人かで行った場合は、ライスを普通盛にしてナンとキーマ(小)をたのむというパターンもあります。

暑い時期に良し、寒いときにもまた良し。二日酔い醒ましにも良いです。「今日はちょっと二日酔いで・・・」と言うと、マスターが「じゃあちょっと辛めにしますか」と言って作ってくれます。汗が吹き出てスッキリします。

村井県知事も代議士時代から良く来られていて、こちらのカレーがお好きなようです。

1998年3月10日、東京転勤を前にシュプラで会食した事が、その後の私を大きく変えてくれました。
あれからもう10年以上経ったのだなあ・・・。

ネイビーブレザー

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私が大学生の頃、第2次アイビーブームでした。ヴァンヂャケット(VAN)が倒産したのはそのちょっと前で、私が高校に入学する直前だったと思います。

学生時代、ボタンダウンシャツにコットンパンツ、足元はレザーのデッキシューズなんてカッコの連中が多かったものです。
ブルージーンズは敢えて穿かない。例外はホワイトリーバイスだけとか、いろんなルールが存在しました。そもそもファッションなんて、自分の好み個性で着るべきものなのに、当時のアイビーファッションは『○○の時は◇◇でなくてはならない』というルールが確定していました。ドレスダウンというのは、もう少し後になってからのことです。

なんにでも尾錠がついていたりしました。コッパンはもとより、スーツのウールパンツにもバックストラップが付いているメーカーもありました。

カジュアルならマクベスやハーバード、ユニバーシティストリート、キャンパックスなんてメーカーがお気に入りでした。重衣料はJプレスやニューヨーカー、ブルックスブラザーズでしたね。
そうそう、復活したVANもトレーナー(これってVANが名付け親なんですよ)やスイングトップ(これもVAN独特の言い方で薄手のジャンパー風の衣料のこと)を喜んで着ていたものです。

毎月『MEN'S CLUB』を買って、端から端まで目を通し、それぞれのブランド毎のディテールの違いをチェックしたものです。

写真はIVYファッションの基本アイテムの一つ、フランネルのネイビーブレザーです。学生時代に初めて買ったもので、ブランドはハーバードです。鉄紺というよりは青が強めの色合いで、型は基本通りの3ツボタン段返り、中1ツ掛け。パッチポケットにベントはセンターフックドベントです。当時は胸ポケットにエンブレムを付けていました。ナチュラルショルダー、肩パットは殆どなし。ラペルには広めのステッチが入っています。襟幅は細め、確かに当時のネクタイは細身のものでした。最近またネクタイが細くなってきましたが、そうしなきゃネクタイ業界が儲かりませんものね。

サイズはA5で、もちろん今や全く着られません(今はA7もしくはAB6)。ここ5年以上イージーオーダーでしかスーツを作っていないので、吊るしのサイズは微妙ですけど。ネイビーブレザーは、この後ずいぶん買いました。フラノ地ではニューヨーカーにJプレス、現在はブリティッシュスタイルのクリフォードを着ています。トロピカルモヘア地だとマクベスを着た後、ニューヨーカーを着て、今はJプレスを着ています。

仕事ではスーツが基本なので、あまり頻繁に着る事はないですが、オックスフォードクロスのボタンダウンシャツにぴったりくるのは、やっぱり『紺ブレ』です。

CASINO

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アルバム『BEATLES FOR SALE』から『REVOLVER』の頃、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが
ステージやレコーディングで使用していたギターのひとつ、EpiphoneのCASINOです。
写真のギターは1983年、高崎の新星堂で購入しました。シリアルNo.は3070723です。

ビートルズが使用していた頃のEpiphoneは、iのドットの位置が大きく離れていて、私のものとは大きくロゴが違っています。
私のはちょうど日本ギブソンがEpiphoneブランドを買収し、国内と韓国でギターの生産を始めた頃のもので、確か8万円前後で購入したと思います。

武道館公演でジョンが抱えていたCASINOがカッコ良くて、中学生の頃からいつか自分も持ってみたいと思っていました。
たまたまレコード(CDではありません)を買いに寄った新星堂に、このCASINOが飾られていて、思わずクレジットで買ってしまいました。学生だったので、その後1年間、苦労してバイト代を使って支払った気がします。

ピックアップにあまり力は無いです。わりとちゃんとしたアンプを通して音を出したこともありますが、ペケペケな感じです。購入後25年経ちますが、傷は殆どないです。しかし、セルのフチ取り部分がヒケてきていて、若干ワレがあります。

ビートルズの楽曲では、例えば『And Your Bird Can Sing』のジョンが弾くコードの音が、まさにこのCASINOの音です。同じく『She Said She Said』のリズムギターもこのギター。間違いありません。

その後、ジョンはCASINOの塗装を落として、LET IT BEのセッションまで愛用していました。有名なアップル本社ビル屋上でのライヴでも、ジョンはこのギターを使っています。『Don't Let Me Down』を歌う姿、めちゃくちゃカッコ良かったですよね。

タイトなスーツ姿が似合うギターだと思うのは、私だけではないと思います。

九七式中戦車

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作ったのは20年以上前。
たぶん、タミヤから1/35ミリタリーミニチュアシリーズのキットが発売されてすぐの頃です。

これを作るちょっと前から『完成しない病』に陥り、買って来たキットをちょっと組んではそのままにしていました。塗装の技量が上がらず、思い描く完成形から程遠い出来具合に、「ダメだ・・・」となってしまい、放ったらかししてしまったわけです。実はこの九七式中戦車も、まだ完成していません。デカールを貼ってないのです。

さて、中学生の頃までは、戦車といえばナチスドイツのティーゲルやパンターなどの方がよほどカッコイイと思っていましたが、今見ると帝国陸軍の主力戦車だったこの九七式も、なかなかのものだと感じます。

装甲が薄く、アメリカ軍のM4などには全く歯が立たず、松本零士氏のマンガの中では『ブリキの棺桶』などと書かれています。確かに父も、「M3(スチュアート軽戦車)は怖くなかったが、M4(シャーマン)が見えた時には逃げるしかなかった」と言っていました。

ビルマの連合軍の戦車砲弾には、瞬発信管が取り付けらており、竹やぶに逃げ込むのが有効だったそうです。つまり、戦車などを狙って撃つ徹甲弾は、装甲を打ち抜いてから爆発するのですが、歩兵など人員殺傷を目的とする場合、着弾と同時に炸裂する方が威力が高いということです。竹に当たった瞬間に砲弾が炸裂してしまうため、奥に潜めば被害が軽微になるというわけです。

さて、この九七式中戦車ですが、紀元2597年(昭和12年)に正式採用されました。主砲は九七式57ミリ戦車砲、当時の世界水準からいっても、すでに小口径の部類です。戦車の用法について、連合国やドイツなどは機甲師団を編成し、戦車同士の戦いを想定していた中、日本陸軍は、あくまでも歩兵戦における支援をメインに考えていた結果だと言われています。

ドイツ軍の戦車は、燃料にガソリンを使っていて、爆発炎上の危険が多かったといいますが、この九七式中戦車は、エンジンが空冷ディーゼル式でした。良質な燃料が不足していたためでしょうが、ディーゼルエンジンを使用していたのは先進的だったといえます。

映画の思い出

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THE BEATLES主演の映画第2弾『HELP!』(1965年ユナイト映画 リチャード・レスター監督)

1961年生まれの私(ついに歳がバレました)は、ビートルズの映画をオンタイムでは見ていません。

A Hard Day's Night、HELP!、LET IT BEの3本の映画を、それぞれ初めて見たのは、たぶん中学生の頃、テレビで「吹き替え」、LET IT BEは、かまやつひろしさんの解説入りだったと思います。オリジナルの音声で、映画館の大スクリーン(と言っても田舎町の映画館なので「中」スクリーンくらいですが・・・)で見たいなぁと思っていた時、ちょうど高校1年の時にチャンスが訪れました。なんとこの3本を一度に上映するというイベントが、私の住む市内の映画館で開催されるというわけです。

中学生の頃はなんとも思っていなかったのに、別の高校に行ってから一人の女の子が気になって仕方ありませんでした。
彼女と一緒に、ビートルズの映画を見に行きたい。そういえば、彼女もビートルズの曲に好きな曲が多いって言ってたぞ・・・と思い出すと、誘ったら絶対に付き合ってくれるはずだ、よし!意を決して誘ってみよう!と、早くも一人で気合いが空回りします。そして彼女の都合も聞かないうちに、前売り券を買いに行きました。もちろん2枚。

入手したその晩、ドキドキしながら彼女の家に電話しました(今なら携帯で簡単に連絡できますね・・・)。「こういう映画が来るんだけど、一緒に見に行かない?」すると彼女は、「日曜日は練習があるから行けないよ」と言います。彼女は同じ市内の別の高校のバレーボール班(長野県の東部にある市の一部の高校では、クラブ活動を『班活動』と言い、それぞれ○○班、△△班といいます)、私は天文気象班。運動部に入ったばかりで練習をサボるわけにはいかないというわけです。なにせ3本立てです。5時間近くかかるわけで、休みの日が一日つぶれます。

2枚のチケットはどうしたか・・・。その週末、結局誰も誘わずに一人で見に行きました。残った一枚のチケットは、下敷きに使っていた硬質クリアファイルの中に挟み、ずっと持っていました。今となっては、なぜ友達を誘わなかったのかとも思います。たぶんあの時、「これは彼女のために買ったものだから」なんて思ったからでしょうか。

今でも『HELP!』のDVDを見ると、なんとなくその時の事を思い出したりします。実家の物置のどこかには、高校時代に使っていたあの下敷きも、チケットが挟まったままあるはずです。

九九式短小銃

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20年以上前に他界した私の父は、太平洋戦争に従軍しました。
ビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦という、非常に兵の消耗率の高い激戦地を生き延びて還って来たのです。

父は陸軍第33師団(通称:弓兵団)の野戦重砲兵連隊に所属していました。33師団の隷下部隊として野戦重砲兵連隊には、第3連隊と第18連隊がありましたが、そのいずれに配属されていたのかは、生前に聞くことが出来ませんでした。

小さな頃から悲惨な戦場の様子を聞かされ、いかに過酷な中を行き延びて来たのか、幼心にも感じ取れたものです。

終戦後、しばらくオランダ軍の指揮下で捕虜生活を送り、復員して戻った実家の玄関で「ただいま戻りました」と声をかけたとき、中から出てきた母(私の祖母)が、「どちら様ですか?」と言ったそうです。3年間、南方の陽に焼け、食事も満足に取れずに敗走し続けた中で、実の親が見ても判らないほどに人相が変わってしまっていたからです。

戦地で父が持っていた小銃が、この九九式短小銃でした。通常の歩兵部隊の多くは、まだ三八式歩兵銃を使用する部隊が多かったようですが、機械化部隊には新式銃や新型の手榴弾などが渡されたそうです。

写真の銃は、もちろん実物ではなく、モデルガンです。30年近く前、上野の中田商店が発売した時に購入したものです。その後、モデルガンメーカーのタナカが金型を引き受け、しばらく販売していましたが、今は絶版です。実銃と同じく、銃床に胡桃の木を使用しており、非常に美しい仕上がりです。全体の形も、なぜかとても日本的な感じがします。

エアソフトガンでは、しばらく前までKTWが販売していましたし、現在はタナカがガスガンで販売しているはずです。ただ先日、実弾を発射可能と思われるガスガンの販売したとかで、警察の家宅捜索を受けたという話を聞きましたので、今手に入るのかどうかは不明です。

好物

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目白にある「丸長」のつけ麺が大好物です。

「チャーシューやさいつけ小鉢中盛」。席に着くなり呪文のように唱えます。出てくるのが写真の麺。普通、麺中盛以上はつけダレが大きめのドンブリになるのですが、並盛用のつけダレで食べるのが「小鉢の中」です。

食べ終わった後、スープを足して割ってもらうと、つけダレもさらに美味しく頂けます。

東京支社勤務時代は、週一くらいのペースで食べに行っていました。現在は松本勤務で、東京出張もさほど多くありませんが、時間が出来れば食べに行きます。

長野では、私の勤務先が「つけ麺」を根付かせようと、いろいろ企画を出しています。

長野市内の「わいち」のつけ麺は、東池袋「大勝軒」のもりそばの暖簾分けで、なかなか美味しいです。黒胡椒が効いた「チャーシュー入りやさいつけ麺」も、好物のひとつです。

みちのく4人旅②

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というわけで、ドラマというのは麻雀での出来事です。

T君は、現在中部地方のある金融機関に勤めています。彼は普段全く麻雀をする機会がないそうで、今回はなんと5年ぶりに卓を囲んだというわけです。その彼が、珍しく3順目にリーチをかけました。
「お!早いねえ」なんて私を含む3人が言いつつ、そうは言っても一発で当たるのもシャクですから、それぞれ安全と思われる牌を切りました。と、T君最初のツモ牌を引くなり「ツモ!四暗刻(スーアンコウ)!」と言うのです。
「えぇっ!なんだってぇ!」と3人が覗き込みます。「リーチ一発ツモ四暗刻」と平然とのたまうT君。もちろん積り四暗刻でも役満ですから、リーチも何もないんですが。
当たれば三暗刻対対でも充分と考えてリーチをかけたわけですが、まさか一発で積もるとは!

役満(子で32,000点)はそう簡単に出るものじゃありません。まして5年ぶりにやったわけですから、、、
逆に言えば、そういうこともあるからこそ麻雀が面白いとも言えます。

私は最初の半荘がトップ、後は大したことなく終了でした。私の麻雀は大体そんな感じで、いつも「やせ馬の先走り」とからかわれます。

T君の下宿の部屋では、役満を上がると上がった役と日時、氏名を記入した短冊を壁に貼ることになっていました。いつしかその短冊が四方の壁を埋め、2周目にかかった頃、みんな卒業したのでした。

あれから25年が経ち、今回こうしてまた集まって、とりとめもない話をしながら卓を囲めたのは、本当に楽しいものでした。
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