Across the Universe

天文ブログでスタートしたつもりが、いつの間にかB級グルメブログになり、さらにダラダラ日記に変化しつつあります。

高校

はやぶさの話を聞く

昨日、年に一度の高校同窓会中南信支部総会が、松本市のホテル花月でありました。
 
イメージ 1
 
支部長の菅谷昭松本市長の挨拶で始まった第1部の総会に続き、2部は講演会。これも例年通りの日程です。毎年、高校のOBを中心に講師を招き、お話を伺っています。
 
今回は、宇宙探査機『はやぶさ』に搭載されたイオンエンジンの開発に携わり、メーカーであるNECの開発責任者を勤めた堀内康男氏の講演を聞かせて頂きました。
 
イメージ 2
 
堀内氏は1964年生まれ、私の3期後輩になりますから、高校時代は重なっていません。話を聞いたところ、高校時代、彼は英語班に所属していたそうです。私は天文気象班、高校時代は私の方が宇宙に近かった?(笑)今回は高校同期の奥様同伴で来て頂きました。
 
堀内氏は1983年上田高校卒業。京都大学工学部卒業後、東京大学大学院修士課程終了、学生時代から研究していたイオンエンジンの開発を続ける形で日本電気(NEC)に入社されました。以来、人工衛星搭載推進システムの開発に従事し、はやぶさプロジェクトの中核メンバーとして活躍されてきました。現在は小型衛星・イオンエンジンの海外事業推進を担当する、宇宙開発戦略室シニアマネージャーの職に就かれています。
 
映画『はやぶさ ~遥かなる帰還~』で、吉岡秀隆さんが演じた森内安夫が、まさに堀内氏がモデルなんですね。
 
講演会は、イオンエンジンとはいかなるものか?という説明に始まり、60億キロメートルという途方も無い距離を旅して戻って来たはやぶさから、堀内氏はじめ関係者の皆さんが受け取った“決して諦めない”というメッセージを、60分という短い時間ではありましたが非常にわかりやすくお話頂き、参加した約60名の同窓生が熱心に聞き入りました。
 
質疑応答の時間、私はかねてから疑問に思っていた事を堀内氏に聞いてみました。
数ある小惑星の中で、なぜイトカワを目指したのか?象徴的な名前が先にあり、ミッションとして難しい選択をしたのではないのか?という疑問でした。
 
堀内氏からは明確なお答えを頂きました。むしろ目指す小惑星が他に無かったという事です。目的地と決定した小惑星は、プロジェクトが始まった時には、まだ名前がついていなかったというのです。つまりナンバーでしか呼ばれていなかった小惑星を目指す事が決定し、その後その小惑星にイトカワという名前が付いたのだという事でした。なるほど、順番としてそういう事でしたか・・・。
 
イメージ 3
 
非常に面白かった堀内氏の講演会が終わり、その後の第3部は懇親会。私が最も得意とする分野です(笑)。上は81歳、若手は30歳のJリーガーまで、その年齢差51歳!非常に幅広いメンバーが集まった同窓会の支部総会、今回も盛況のうちに幕を閉じました。

実は私、高校同級会の永久幹事をやっています。
 
誰かに頼まれたわけではありません。先日の記事で『フォーク酒場アルペジオ』に一緒に行ったと書いたI君と2人、自ら好んでやっています。
 
卒業以来32年、20代後半までは毎年開催していました。30歳に近づいた頃、同級会の中で、それぞれ家庭を持つと家の事情もあるし、毎年参加するのも大変だろうという話になりました。それから現在まで、2年に一度西暦偶数年の8月14日開催となっています。こうしておけば、それぞれ予定も立てやすいだろうというわけです。2年に1日だけ、1/730日くらいは、自分のためだけに予定を入れても、誰からも「それはダメ」なんて言われないでしょ?という事です。
 
同級生は48名でしたが、既に2人が他界し、担任も亡くなりました。2人は転居先がわからなくなり、案内を出せずにいます。今回は私とI君、それに所在不明の2名を除き42名に往復ハガキで案内を出しました。
 
今日までに5名から返信が来ています。その中の1枚、静岡に住むM君からの返信は、前回同様に欠席に○、住所もメールアドレスの記入もなく、氏名欄に苗字のみ。近況欄には斜め線が殴り書きで入っているだけでした。私の宛名も、常識的には『行き』を『様』に直すものですが、そのままです。
 
M君は転校生でした。確か高校2年になる時に、静岡県から引越して来たと思います。あまり社交的な性格ではなかったようで、クラスに溶け込もうという気持ちが見えませんでした。当初、私は意識的に話しかけたりしたのですが、彼に迷惑そうな顔をされた気がして、その後は親しく話すこともしませんでした。
 
卒業後、彼の家族は静岡に戻ったらしいという話を聞き、上田には全く縁もなくなったようでした。同級会には一度も参加していません。
 
彼の返信ハガキからは、棘(トゲ)を感じます。私は一昨年、彼から返信を受け取った時、「お前らになんか全然会いたくないんだよ。案内をもらうのも迷惑だ」くらいに考えているんだろうか?なんて思ったら、だんだん腹が立ってきてしまい、「上等だ!金輪際案内など出すものか!」と決めたのです。
 
でも、今回も彼に案内状を送りました。
 
前回、しばらく経ってから考えたのです。もし本当に迷惑だと思っているだけなら、返信などするものだろうか?わざわざ記入して、ハサミで切ってポストに投函するものだろうか?と。
 
今はそう思わないかも知れませんが、これから先、ふと昔の連中に会ってみたいと思う時が来るかも知れません。母校の『古城の門』が見たくなって、ついでに馬鹿共の顔でも眺めようなんて思うかも知れません。
 
返信がある限り、彼にはこれからも案内状を送るつもりです。

最後の松尾祭

今日は七夕、残念ながら梅雨空で織女と牽牛の逢引は見る事が出来そうにありません。
 
夏の甲子園県大会が今日始まりましたが、私の母校上田高校では恒例の文化祭『松尾祭』の一般公開日でした。時折雨が降るあいにくの天気でしたが、晴れ間を見て出掛けて来ました。
 
イメージ 1
 
長女が卒業後、続けて長男が入学し、6年間お世話になりました。その長男も3年生、今年が最後の松尾祭です。
 
松尾祭の名物イベントといえば、我々の頃からずっと続いているクラス対抗の『アンデパンダン展』です。私たちが高校生の時は、紙粘土(新聞紙と糊を使って製造)による立体像を作るのが普通でしたが、最近はレリーフ系の造作物が人気のようです。
 
イメージ 2
 
タイムリーだなあと思ったのは、昨日テレビで放送されたばかりの『千と千尋の神隠し』のハクと顔なしのアンデパンダンがあった事です。
 
イメージ 3
 
さて、所属していたクラブが地区大会で敗退し、既に引退していた長男が、このところ全精力を注いでいたのがアンデパンダン製作でした。彼のクラスの作品は、爪楊枝10万本を使ったレリーフで、ミケランジェロの壁画『最後の審判』でした。
 
イメージ 4
 
これは力作です。肉眼で見るよりも、こうして写真に撮ると良くわかるものですね。
 
前回もこの写真で締めくくった気がしますが・・・、
 
ホームルーム棟の1階北端の廊下、現在の3年8組のホームルームになっているこの場所。今から33年前のこの場所に、高校3年生の私がいました。この棟以外、当時の建物は残っておらず、校内を歩いても母校に来ている気がしないのですが、唯一この場所だけは当時のままです。
 
イメージ 5
 
誰もいない廊下に、友人達の笑い声が聞こえた気がしました。

同窓会新年会

イメージ 1
昨夜、松本市内の割烹ヒカリヤで、上田高校同窓会中南信支部新年会が開催されました。
 
イメージ 2
集まったのは21名(今回はモザイクなし)。
いつもの月例会(幹事会)では、78期卒業の私が若手のほうですが、今回は80期90期台の若い人も参加してくれました。
 
いちばんの先輩が52期(75歳)、最若手が97期(30歳)、その差45歳!しかし年齢差を越え、話が広がり楽しいひと時でした。
 
和食のヒカリヤヒガシはお値段も立派で、普段はなかなか伺う機会の少ないお店ですが、今回は飲み放題付きでずいぶん安く仕切って頂きました。幹事の皆さん、お疲れさまでした。
イメージ 3
 
私は前夜、奥蓼科の温泉に泊まっての会食があり、3時間弱しか寝ていなかったため、日本酒を飲みだした途端に一気に眠くなってしまい、今回は一次会のみで失礼しました。
 
さて、皆さんともお話をさせて頂いたのですが、今年はNHK連続テレビ小説『おひさま』(主な舞台は安曇野)、映画『岳(ガク)』と『神様のカルテ』(いずれも東宝配給)と、松本が舞台となった作品が立て続けに公開されます。
 
これはまさに、観光地松本を全国にPRする絶好の機会です。人によっては連ドラの誘客効果は500万人(!)なんて数字を言います。いくらなんでもそれはオーバーでしょうが、こうした作品が松本への注目度アップ要因になることは間違いありません。
 
私も微力ながら、松本の魅力を紹介するべく(このブログで?)ガンバリマス。

同窓会

昨日、松本市ホテル花月で上田高校同窓会中南信支部総会がありました。
 
第一部の記念講演で、85期金沢謙太郎氏(信州大学全学教育機構准教授)による「『香』の向こうに 熱帯雨林と日本人」と題した講演を聞かせて頂きました。
イメージ 1
 
金沢氏は東京外語大卒で、筑波大大学院で修士課程、東大大学院で博士課程を修了、専攻は環境社会科学、国際社会科学といった分野だそうです。
 
近年、世界的規模で森林の減少が深刻的状況になっていますが、特に熱帯雨林の減少は南米と東南アジアで顕著です。大学院におられる頃からマレーシアにたびたび足を運び、熱帯雨林の減少をその目で見続けてきました。
 
インスタントラーメンやポテトチップスを揚げる際に使われる、パーム油。これを取るためのパーム椰子を植えるために、熱帯雨林を伐採しているとの事。我々先進国の人間の需要によって、貴重な熱帯雨林が減っているのでした。
 
自然の原料で『環境と人体に優しい』と書かれたパーム油を主原料とした洗剤など、皮肉としか思えませんね。
 
現在金沢氏は、『沈香(じんこう)』と言われるお香の原料となる樹木が、どのようにして日本を始め世界各地に運ばれているのか、現地ではどのように採取されているのかを詳細に調査を続けているのだそうです。伐採や焼畑などで減少する熱帯雨林の中では、沈香の木もまた激減していて、希少性が更に増しています。日本国内で販売される香木は、1gなんと2万円3万円という値段にもなるとの事。
 
現地の住民の数少ない現金収入源が、この香木の採集だそうですが、仲買人の手からいくつもの会社を経由する事で価格がハネあがり、最終的にはそんな価格になるわけですが、本来採集をしている人たちが、もっと豊かになれる収入を得られても良いわけです。
 
なぜマレーシアの熱帯雨林が減少しているのか、その事実は我々の生活に非常に密接した関係がある事を、改めて考えさせてもらえた講演でした。

同級会

どうきゅうかい?
どうやら『同級会』というのは、長野県独特のもののようです。一般的には『同窓会』、もしくは『クラス会(何年生の時の)』と言いますね。
 
一般的でないことは、『同級会』で一発変換できない事でもわかります。『胴九回』!
 
私達の世代は、小学校6年間、中学3年間、高校3年間、それぞれ一度もクラス替えを経験していません。高校時代、3年生の選択科目によってクラス分けが変わりますが、ホームルームは一緒でした。
 
なので『同級会』というわけです。
小学校の同級会、中学の同級会、高校の同級会、たいていの人はこの3つしかありません。同窓会というと、たいていは高校の年次に関係なく集まる会のことで、同期会という感じの同窓会は、県内では非常に少ないようです。
 
14日、高校時代の同級会がありました。2年に一度の間隔で開催しているのですが、今回は久々の盛況で16名が参加しました(モザイクをかけると、なんだか怪しい写真のようですね)。
イメージ 1
総勢48名のクラスでしたが、既に2名が他界しており、担任も亡くなっています。
 
卒業以来30年、もうそんなに経ちましたか・・・。たった3年間を一緒に過ごしただけですが、こうして再会すると、あっという間に昔のままの会話がはずむのが心地いいものですね。
 
たいていの男どもは髪の毛の量が減っているのですが、S君だけは高校時代と全く変わりがない。白髪一本もないのです。「なぜだ?」と聞くと、「会社勤めをやめて今の病院勤務に変わったら、白髪が無くなった」との事。ふーん、なんとなくわかる気もします。
 
子育てがひと段落した人が多くなったからでしょうか、最近は女性陣の参加が増えました。クラス48人中12人が女性でしたが、今回6人参加で出席率50%ですから。
 
結局2時まで飲み歩き、這うようにして家まで戻ったのは2時半過ぎ。翌日は完全な二日酔い。夜まで全く回復しませんでした・・・。やはりもう無理は利かない歳になりましたね。
 
8月19日追記
ご参加の皆さん、集合写真は近日お送りします。暫しお待ち下さいね。

松尾祭

イメージ 1
私の母校上田高校の文化祭、松尾祭に行ってきました。
 
この春まで娘がお世話になり、4月からは息子が通っています。
 
恒例のクラス対抗アンデパンダン展は、やはり最近の傾向でレリーフ系の出品が多くなっていました。
 
卵の殻1,000個、破片12万個を使ったという“泣く女”や、
イメージ 2
 
爪楊枝15万本!を使用したという“唐獅子図屏風”などの力作もありましたが、
イメージ 3
 
やはり紙粘土を使って製作された、“アノマロカリス”(古生代の生物かな?)のような形式のものが良いと思うのですが。
イメージ 4
 
さて30年前、私のホームルームだった場所にも行ってきました。
イメージ 5
当時新校舎といわれた、出来たばかりの校舎でしたが、すっかり古ぼけてしまいましたね。でも、面影は当時のまま。ふと30年前にタイムスリップしたような感覚になりました。

伝統

息子が高校に通いだし、先日学校の様子を聞いていると、
「お父さんの頃も、『さようなら』を、『おやすみ』って言ってたの?」と聞かれました。
 
「そうそう、下校の時、みんなに『じゃあ、おやすみ』って言ってたよ」と答えました。
 
私の実家あたりでは、昔から夕方道で知人に会うと、「おやすみー」と声をかけたものでした。
「仕事お疲れさまでした。家に帰ってゆっくりお休み下さいね。さようなら」という意味を、ひと言で
表すのが『おやすみ』なのです。
 
高校では、朝であろうが昼であろうが、別れる時の挨拶は『おやすみ』でした。
 
最近は、近所でもあまり聞かなくなった『おやすみ』ですが、母校では相変わらず使われて
いたんですね。
 
ちょっと嬉しくなりました。
ギャラリー
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 桜とスリービーチ
  • 久しぶりにトーハクへ
  • 久しぶりにトーハクへ
  • 久しぶりにトーハクへ
  • 久しぶりにトーハクへ
  • 久しぶりにトーハクへ
  • 久しぶりにトーハクへ
最新コメント
記事検索
タグ絞り込み検索
管理人

matchiro

読者登録
LINE読者登録QRコード
アーカイブ
メッセージ

名前
メール
本文
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ