Across the Universe

天文ブログでスタートしたつもりが、いつの間にかB級グルメブログになり、さらにダラダラ日記に変化しつつあります。

スキー

雨の日は昔話でも

若い頃、何かに真剣に打ち込んだ事、ありますか?

私はまあ、学生時代の弓道と、社会人になってからのスキーくらいは少々真剣にやったつもりです。弓道の話はまたいずれ書かせて頂こうと思いますが、今日はスキーの話を。

中学高校と、スキー教室はあるものの、長野県東部の学校でウインタースポーツと言えば、たいていはスケートでした。ほぼ全員が自分のスピードスケート靴を持っていたものです。コーナーで足をクロスさせながら回るなんて、自転車に乗るようなもので、大概の人が出来たものです。

高校時代までは、年に何度かしか行かなかったスキーですが、年々用具が良くなり、靴が痛くなくて冷たくないと思えるようになったのは、大学生になってからでしょうか。ウェアもそれまでのダサっぽいアノラックではなく、いわゆるスキーウェアとしてお洒落なデザインのものが生まれてきたのもこの頃からです。新素材のワンピースのウェアなど、軽くて薄くて暖かく、以前の『苦行』のイメージは全くなくなりました。

就職して給料が頂けるようになり、夏と冬のボーナスは殆どスキー用品とスキー旅行につぎ込みました。夏の早期相談会でウェアをオーダーし、ニューモデルの板と靴を予約、11月中旬に志賀高原の熊の湯スキー場で初滑りをして、翌年5月初旬の志賀横手山での滑り収めまで、ほぼ半年間はスキー三昧でした。

写真は今からもう25年近くも昔の私です。…額の面積が今の半分しかありませんね!(涙)

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アシックスのウェア5点セット、たぶんこれだけで20万近くかかっています。シーズン初めや春スキー用のセーターにデモパン、風よけのベスト。

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寒い時はオーバーパンツにジャケット、その上にベストを着込みます。

板はオガサカのトライアンZ-SL、スラローム競技用の2メートルでした。ブーツはサロモンSX-92EQ、ビンディングも競技用のゴツいのを付けていましたね。

板に10万、ブーツと金具で10万、ストックが2万、手袋も1万近かったはず。薄給だったのに、よくまあお金をつぎ込んだものです。この時代、私が特別な浪費家だったわけではなく、誰もがお金を使っていた気がします。『欲しい』ものが、誰にでもあった時代だったのでしょうね。

今の若い人たちの多くは、あまり物欲が無いようです。堅実で、それはそれで立派ですが、消費は美徳とまでは言わなくても、ある程度お金を回さなくては、経済は活性化しませんよね。

雨の降りしきる日曜日の午後、なんとなく昔話をしたくなってしまいました。お付き合い頂き、ありがとうございました。

私をスキーに連れてって(*゚∀゚*)

1980年代、天文趣味から離れていた時期がしばらくありました。ちょうどハレー彗星の接近が話題となっていた頃でした。そんな話を以前にも書いた事があります。
 
その頃熱中していたのがスキー。
 
高校時代までは、年に数回行けばいいくらいのペースでした。当時のスキーと言えば、足が痛くなるし、つま先は冷たいし、楽しいと思う前に辛さの方が大きかったのです。しかしその後、用具がすごく進歩し、ブーツもとても快適なものになりました。
 
学生時代は金が無く、3年生までは全くスキーをやりませんでした。就職が決まった冬から、なんとなく始めたつもりが一気に深みにはまり、就職してからはほぼ毎週末スキーに出掛けるようになってしまいました。
 
1987年3月、志賀高原でのスナップがあります。25年も昔の写真!
 
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だいたいが“形”から入る私のこと(笑)、まずは用具・用品に力を入れます。参考にするのは、もちろん全日本のデモンストレーターです。雑誌スキーヤーやスキー・グラフィックを読み、技術論そっちのけで用具やウェアを研究します(笑)。
 
まずは板、これは当時の基礎スキーヤーの多くが使っていたオガサカで決まり。ユニティ3です。ブーツは一世を風靡したサロモンのリア・エントリーSX91エキップ、金具は当然ブーツに合わせてサロモン、総金属製の747エキップ。足が折れても外れない(爆!)レース仕様です。
 
ウェアは、テレビ番組『スキーNOW86』で大人気になったスキーヤー、斉木隆選手が使っていたアシックス、上から下まで斉木隆モデルのベスト、デモセーター、デモパンです。さすがにセーターで滑れるのは3月になってから、2月にこの格好では寒くてスキーどころじゃありません。グローブとポールもオガサカ、当時のデモンストレーターの多くが愛用していたモデルでした。猫目のサングラスも流行りましたね。
 
1998年に東京転勤になり、殆どスキーに行けなくなりました。その後上田に戻り、スキーを最後にしたのは長女がまだ中学生の頃でしたから、もう9年も前になりますか。当時すでに標準になっていたカービングスキーを持っていなかったので、レンタルスキーで滑りました。160センチくらいの長さしかなくて、なんじゃこりゃ?と思いましたが、安定性や操作性が別次元の良さでビックリ仰天、さらに用具は兆速の進歩を遂げていたのでした。
 
すっかり浦島太郎スキーヤーになってしまった私は、以来滑っていません。しかし、ふと山の雪を眺めたりすると、「久しぶりにスキーも面白いだろうな」なんて思うこともあります。
 
・・・そうなるとやはり、まずは用具から研究しなくては・・・(笑)。
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