巷で話題の『一億総活躍担当大臣』…orz

ネーミングを聞いたとたん、「だめだ、こりゃ」と長さんのセリフが思わず出てしまいました。

 

案の定、略称も決まらなければ英語表記もハッキリしない。これが第3次安倍内閣の目玉だってんですからねえ…。

 

二階さんも正直ですね。自身の派閥から大臣になった馳浩文科相について「あんな大臣にならなくて良かった」と、思わず本音をポロリ()。だいたい所管する省を持たない大臣を、あまり多く作るのはいかがなものかと思います。

 

そもそも、『一億総』と来ると、続きは『特攻』ってイメージになりませんか?少なくとも私は、続く言葉にマイナスイメージしか湧いてきませんでした。


昭和204月、戦艦大和以下の第2艦隊に対し、沖縄への水上特攻命令が下され、第2艦隊司令長官伊藤整一中将が「片道燃料、援護機無しなど、どだい無理な作戦である」(実際は大和の燃料を軽巡矢矧他8隻の駆逐艦に回したため、いずれも沖縄往復が可能だったようですが)と、作戦実施に反対しました。しかし、豊田副武聯合艦隊司令長官から「大和が、一億総特攻の先駆けとなって欲しい」と言われ、作戦遂行を了承したと言われています。

 

もうひとつ、国民『全員』が『もう一歩前に進んで頑張る』必要があるのでしょうか?頑張りたくても頑張れない、頑張らないことが大事な人だっているのです。うつ病の患者に「頑張れ」は禁句です。鎌田實先生も、がん患者に『頑張らない』事を勧めているではないですか。今まで長年頑張ってこの国を支えて来てくれたお年寄りには、もう十分だからとゆっくりしてもらうんじゃだめなんですかねえ?

 

一般的に、企業では2割の人間が8割の仕事をしていて、残り8割の人間が2割の仕事をしていると言われます(私はもちろん、残り8割側の人間ですが・笑)。人それぞれ、違いがあって当然。それを十把一絡げに「国民全てが云々」と言うから胡散臭いんです。違いを認め、立場立場を尊重しなくては、そうでなくても何だか歪んだ平等意識がある中で、より一層の矛盾拡大に繋がりはしないか?と大いに危惧します。「あのお宅は今度ベンツに買い替えたけど、同じように働いているのにウチでは買えない。不平等だ」みたいな、そんな意識を持たれたってどうにもなりません。資本主義の国で経済格差が存在するのは当然と言えば当然の結果なのですし。

 

頑張れる人(会社)、もっと頑張りたい人(会社)には頑張ってもらって、それ相応の負担をしてもらって、この国を支えて頂きましょうよ。それでいいじゃないですか。

 

国民会議(?)を作って、「何をやるか」から考えるそうですが、ずいぶん悠長な話のために大臣を作ったものですね。まあ、具体的な方策など、そう簡単には見つからないと思いますけどね。

 

まずはお手並み拝見、ですか。