「11月3日は文化の日です。今日は、文化の日にちなんだ放送劇『天狗の鼻』をお送りします」

この第一声で始まった放送は、今から40年近くも昔、まだ電電公社(って言って判る人も減りましたが)の電話が各家庭に充分普及していない頃、地元の有線電話で流した
ものでした。

有線(と略していました)は、たぶん自治体や農協が出資した会社が運営していたのだと思います。当時、殆どの家庭に有線(電話)がありました。当初は○○○回線の△番という番号が、それぞれの家庭の電話機につけられていて、その回線の家庭(1~9番)のいずれかに電話がかかると、交換手の声で「3番、3番」と、同じ回線全部の家の電話に付いたスピーカーから聞こえるのです。回線番号は、近所の家はたいてい同じでした。

忘れもしない、我が家の番号は211回線の3番でした。
休みの日に家族で出かける時などは、隣の家に声をかけて「夕方には戻るから」と伝えておくと、留守中にかかった電話に隣家の人が出てくれて「○○さんところは、今日は出かけて留守ですよ。言付けがあれば聞いておきますよ」てな具合で、どこから何の用事で電話があったのか、聞いておいてもらえるという、ずいぶんとおおらかなシステムでした。

電話をかける際も、受話器を取ると交換手が出て、「211回線の3番から、204回線の7番をお願いします」と伝えるのです。

その後、ダイヤル直通式に電話機は変わりますが、火災発生の連絡や迷子のお知らせなどの緊急放送の他、自治体からのお知らせなど、毎日何回か電話機のスピーカーから定時放送がありました。

その中のプログラムのひとつに『学校の窓』というものがあり、域内の小学校や中学校が順番に放送を受け持っていたのです。

たしか私が、小学校4年生の9月か10月初め頃だったと思います。当時小学校の担任だったK先生から、私を含め4人の児童に声がかかりました。『学校の窓』で流す放送劇を録音するから、放課後残るようにという事でした。

今なら、そんな決め方をしたらPTAが大騒ぎするところですが、いわゆる一本釣りです。先生もまあ、一番手間のかからない児童を集めて、簡単にやっつけてしまおうという魂胆だったのでしょう。

『天狗の鼻』という劇の内容は、さすがに記憶が薄れてしまいましたが、文化の日は、戦前は『明治節』といって祝日であったが、戦後は日本国憲法の公布日として『文化の日』になった。平和憲法は大切にしなくてはいけないんだ、というような話だったと思います。

出演者は、おじいちゃん役がY君、孫の兄役がT君、弟役が私で、ナレーターがHさんでした。

当時、祖父や父の兄などは『天長節』なんて言っていました。明治天皇の誕生日という事で、明治時代は祝日、大正時代は平日でしたが、昭和に入って『明治節』になったわけです。

K先生は、しばらく前に亡くなりました。同じ市内に住みながら、結局お会いする機会もないままでした。良くゲンコツをもらいましたが、本当にお世話になりました。今の私の多くの部分は、小学校1~4年生の時の体験から出来上がっているのだと、本当に感謝しています。

小学校の宿直室で、ソニーのカセットレコーダーを真ん中に置き、戸を開けるシーンでは入り口のガラス戸を開け、効果音を出す時も色々な工夫をして放送劇を作った事を、なんとなく思い出しました。