Across the Universe

天文ブログでスタートしたつもりが、いつの間にかB級グルメブログになり、さらにダラダラ日記に変化しつつあります。

2011年03月

娘からの電話

昨日、娘が行っていた福島県白河のセミナーハウスに電話が通じ、参加者全員が無事であるという事はわかっていましたが、今日になっても携帯は全く通じず、直接連絡が取れずにいました。本人からは、一度だけ友人から借りたau携帯が叔母のau携帯に繋がり、元気でいると伝えてきました。
 
そんな中、今日の午後になり、カミさんが姪の大学進学のためのアパート探しに同行して、動き始めたばかりの長野新幹線に乗って東京に行くと言います。カミさんの妹は全く東京が不案内なので、一緒に行って欲しいと前々から頼まれていたのですが、昨日の今日なので中止するとばかり思っていました。しかし義妹が来週まで待っていられないというので、復旧後最初に動き出した4時過ぎの『あさま』に飛び乗って行きました。
 
さて夕方、息子と2人夕食を作るのも面倒なので、近くのファミレスに行きました。
 
料理を食べ終わり、コーヒーを飲んでいた時、私の携帯が鳴りました。見知らぬ電話番号が表示されています。慌てて出ると、娘からの電話でした。セミナーハウスの固定電話を借り、電話をしてきたのです。
 
宿泊しているセミナーハウス周辺は大きな被害もなく、食事もちゃんと食べられていて、全員元気だとの事。しかし携帯は、ソフトバンクは元々圏外で、ドコモは地震後ずっと圏外になったまま、唯一auが時々繋がっていたようです。
 
今日になって、ハウスのインターネット回線も不通になってしまい、外部の情報がほとんど入らなくなってしまったようです。
 
とりあえず明日の朝、バスを仕立てて一般道を走行して大宮まで行くという事が決まり、何時になるかわからないが、大宮から新幹線に乗って上田に戻ると言います。とにかく、南に進んで携帯が復活したら、また連絡をよこせと伝えて電話を切りました。
 
彼女が先日まで住んでいた筑波大の寮は水道が断水したままだそうで、引っ越したばかりのアパートの方は、どんな状況なのかは全くわかりません。とりあえず落ち着くまでは自宅で過ごし、それからつくばに戻る事にするようです。
 
福島からの道路、海岸側を通る道ではないので、時間はかかっても戻って来られるとは思います。今は道中の安全を祈るしかありません。
 
最後にひと言。
この非常時に、デマのチェーンメールを送りだした不届き者がいます。息子の携帯にも届きました。彼はそのテのメールは一切無視で、どこにも転送しないのですが、どうも多くの人が転送して広まっているようです。
 
デマに惑わされないようにして欲しいですね。悪さをした奴、オツムの程度が知れますよ!

大地震

午後2時46分、私は佐久市臼田から佐久平駅に向けて車を運転していました。
 
午前中に仕事上で大きなトラブルが発生し、対応に苦慮しながら佐久に向かい、佐久平駅で本社からの同僚を拾い、打ち合わせを済ませて戻る途中でした。
 
突然、転中の車に横からの力のようなものを感じました。風が強かったので、横風を受けたのか?と一瞬思ったのですが、信号の前で減速したあたりでさらに大きくゆれ始めました。赤信号で停車しても、そのゆれは大きくなる一方で、助手席の同僚が、「いったいなんですか?!これは??」と大きな声を上げたのです。道路わきの会社からは人が飛び出し、大声を上げています。「地震だ!」と気がつき、すぐにカーナビのワンセグテレビをONにすると緊急警報音が響き、緊急ニュースが始まりました。
 
「震源は?」「判らないけど、津波警報が太平洋岸に出ています。いや、大津波警報です」と、テレビを見る同僚が言います。ゆれは長い振幅で続き、1分近く続いた気がしました。佐久市の震度は5。県内ではいちばん大きな震度を記録したそうです。
 
佐久平駅に着き、たぶん新幹線は止まっているだろうと話ながら改札に行くと、やはり全線不通で復旧の見込みが立たないと。小海線も同様でした。
 
駅の2階に置かれたテレビの前には、たくさんの人がニュースを見ていました。そこに駅員が大きな声で「2階は危険なので、1階に下りて下さい」との事。降りるとちょうどそこに大きな余震があり、椅子に座っていても身体が左右に振られるような勢いでした。
 
同僚は上田市に家があるので、とりあえず上田まで車で移動する事にして、高速道も状況不明なため一般道で向かいました。その間、本社や支社に連絡をしようとしましたが、携帯は全くつながりません。
 
自宅へは何度か連絡するうちに、ようやく一度つながりました。とりあえず被害はなく、ひと安心でした。しかし、ちょうど今日から娘が福島県白河市に研修で行っており、携帯がつながらないために状況が全くわからないと言います。
 
その間、ワンセグで被害状況を見続けていましたが、信じられないような大津波を目の当たりにし、被害の大きさに驚愕しました。
 
上田駅前で同僚を降ろし、とりあえず自宅へ。娘との連絡はまだついていませんでした。
 
会社が利用している安否確認システムから一斉メールが届くのですが、指定のアドレスにはiモードが全然つながらず、こちらの状況を報告できません。とにかく会社に戻る事にして、三才山峠を越えて松本に向かいました。
 
支社に戻ったのは午後6時前。会社の電話から娘の行っている研修施設に何度も電話をして、ようやくつながり全員無事という事が確認できたのは6時半頃でした。白河周辺では、携帯が全く使えない状況のようです。
 
午前中に起きたトラブルは全く解決出来ておらず、むしろ携帯がつながらなかった事によって一層厳しい状況になっています。しかしもう、このような状況ではどうにもならないと判断し、憂鬱なままで週末を過すのはイヤですが、週明けの作業と決断しました。
 
観測史上最大の地震だそうです。さらに震源を移動しつつ、太平洋プレートと北米プレートの境界上と思われる場所で連鎖的な地震が発生していますね。これはいったいどういう状況なのでしょう?震源がさらに南下し、東海方面まで続くというような事はないのでしょうか?
 
既に暗くなり、被害状況が判明するには時間がかかってしまいそうですが、どれだけの人的・物的被害が出てしまうのでしょう?
 
東北方面の友人に連絡をしようと試みましたが、今日は無理なようです。
 
被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。まだ余震が続く恐れもあるようですから、くれぐれも気をつけて下さい。

なごり雪

なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
今、春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
 
3月は別れの時期ですね。
 
今を去ることウン(十?)年前。
君が去ったホームに残り・・・
その方が100倍良かったのに、去るのは私の方。動き始めた列車の窓から、ホームの脇で見送るひとの涙を見る辛さ・・・。
 
さよならだけが人生なんでしょうか?
 
昨夜の松本は、一時吹雪のような状況になりました。
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なごり雪というには、ちょっとまだ早いかも知れません。

手打ちうどんやません

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スペシャルうどん大盛 900円 手打ちうどん やません
 
仕事で佐久まで出掛けて来ました。
 
松本からは長野道更埴JC経由上信越道佐久インターで1時間半ほど。長野新幹線佐久平駅で人を乗せる予定があり、その前にささっと昼食を済ませる事にしました。
 
上田勤務時代以来、佐久は3年ぶり。さてどこで何を食べようか?と考えた時、小海線岩村田駅前のうどん屋さんを思いつきました。手打ちのやさしいうどんを食べさせてくれるお店『やません』さんです。
 
オーダーしたのは、かき揚げと肉、生玉子が入った『スペシャルうどん』です。当然大盛で。
 
かつおダシの効いた澄んだ美味しいツユ、柔らか目のうどん、カラッと揚がったかき揚げ、満足しました。
 
しかし、やはり消化の良いうどんですね。夕方には、もうお腹が減ってたまりませんでした。

軽井沢でフレンチ 第2弾

軽井沢ホテルブレストンコートに、新しいレストランが今日オープンします。
“ブレストンコート ユカワタン”という名のフレンチレストランです。席数は24席でゆったりとしたレイアウト。とても落ち着いた雰囲気です。
 
ボキューズ・ドール国際料理コンクール日本代表で、2011大会世界9位の実力を持つシェフの中洲達郎氏と、2004年同料理コンクール史上最年少で日本代表になった浜田統之総料理長が腕を振るう、実にゼイタクなレストラン。
 
オープンを前に、会社の同僚や取引き先の方と共にご招待を頂き、ひと足先に食事を楽しませて頂きました。
 
“ブレストンコート ユカワタン”のコンセプトは、『水のジビエ』。信州の清冽な水に育つ魚や、その水を飲んで育つ鹿や猪などを自然の恵みの食材を生かし、フランス料理の最高峰『ジビエ』を、日本らしさと融合するという事のようです。
 
頂いたメニューは、確かに地元産食材にこだわったものでした。もちろん、ワインも信州産を中心にセレクトされていましたよ。
 
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さて、どんなものを頂いたのか、
 
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写真上左から、
清水牧場のトムフレッシュと北御牧産白じゃがいものアリゴ
6種類のアミューズブーシェ コース仕立て
信州プレミアム和牛腿肉と信濃雪鱒のプレステリーヌ 春菊のムースを添えて
善光寺味噌の香りに包まれたフォアグラのメレンゲ焼き ソースカルヴァドス
 
6種類のアミューズブーシェ、いやぁ細工がとにかく細かい。下にある丸いのは、それぞれ石なのですが、温かいものは石を温めてあり、すぐに冷めない工夫がしてあります。
 
とろっとろで濃厚な味のフォアグラを、信州リンゴの酸味が効いたサッパリとしたソースで、とても美味しく食べさせて頂きました。
 
続いて信州佐久鯉を使った2品
 
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佐久鯉のコンソメと内臓のソーシソン
佐久鯉のスフレ 野尻湖で採れた川海老のソースで
 
さて、メインは3品から選ぶ事に。牛のロースト、地鶏のローストもあったのですが、私は安曇野豚を選びました。
 
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藤原さんが丹精込めて育てた安曇野放牧豚のデグリネゾン
 
豚肉の甘み、部位や調理法の違いによる味の変化が楽しいものでした。
 
フロマージュとデザート。デザートは3種類からのセレクトでイチゴにしました。
 
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信州フロマージュの小さなムニュ
軽井沢ファームの依田さんが作ったイチゴのバシュラン
 
フロマージュは、手前左から奥右の順に食べて欲しいということで、その順番に食べていくと、最後の“信州リンゴと森のチーズのアイス バータサレを添えて”が、かなりガツンと来る味。
 
それぞれはさほどボリュームがあるわけではありませんが、すでにお腹はいっぱい。コーヒーが出てきた時には、テーブル上のお菓子は全然食べられませんでした。

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とにかく、細工が細かく、手数のかかった料理ばかり。気軽に食べにいける金額ではありませんが、特別な日や大切な人と、ゆっくりと至福の時間を過ごそうと思うとき、ぜひお勧めです。

愛機になりそこねたMIZAR その4(最終回)

大学2年の後半になり、弓道部の練習がきつくなって、天文研に顔を出せる機会も減ってきた頃です。文サ協(文化サークル協議会)に対し、仮加盟の申請を出しました。しかしちょうどその時期に弓道部の幹部交代があり、思いもよらず私が主将に選ばれてしまいました。
 
こうなると、いよいよ天文研で星を眺める余裕などなくなります。とはいえサークルを立ち上げ、後輩も入ったところで放り投げるのはあまりにも無責任です。とにかく文サ協への仮加盟だけでも成し遂げなければと思いました。協議会の幹部連を前に、天文研が日頃から真面目な活動をしている事、次年度以降も新入生が入り存続出来る見込みがあるという事を懸命に説明しました。
 
しばらくして仮加盟の許可が下り、文サ協のクラブ棟の空き室を貸与される事になりました。まだローンはずいぶん残ってはいましたが、これでARの置き場所も出来たわけです。
 
5人の仲間でスタートした時、こんなふうにちゃんとしたサークルになれるとは思っていませんでした。卒業する時には4人に対してお金を払い、望遠鏡を私が買い取って終わりにしようか、なんて思っていたのですが、その望遠鏡は私の自作鏡筒と共に天文研の所有機材となったのです。2年間かけて、毎月集金に回って支払ったローンも滞りなく済み、初期メンバー5人の寄贈という形で会に譲渡されました。
 
手頃なサイズで良く見えたAR-100SLは、こうして私の愛機になることはありませんでした。
 
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当時とても欲しかったけど、ついに買えなかったTS式システム160ミリ赤道儀(いちばん右の望遠鏡)
 
さて、大学の卒業記念のアルバムには、弓道部は当然ですが、天文研究会のメンバー写真も掲載されています。しかし初代幹事長の私は、当日アルバイトのため撮影に間に合わず、私以外の初期メンバー4人と、後輩が写っています。
 
卒業以来会っていないメンバーが多いのですが、みんな元気で頑張ってるかな?
(おわり)

愛機になりそこねたMIZAR その3

私は高校時代に自作した、口径100ミリ焦点距離1000ミリの反射望遠鏡を持っていました。フォーク式の経緯台を作るつもりで、上下微動桿までを作っていたのですがマウンティングするまでには至らず、自宅の部屋に寝かせてあったのです。鏡筒外径が同じ142ミリであったので、100SL鏡筒と交換して、そのまま架台に載るサイズです。
 
鏡はNTK(日本特殊光器・当時)製で、トップリングと主鏡セル、斜鏡はアストロ光学製を使い、筒は近所のトタン屋さんで厚手のトタンを丸めてもらったものでした。
 
その望遠鏡を作るにあたり、参考にしたのが
 
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天体望遠鏡製作ハンドブック 川村幹夫著 誠文堂新光社刊
でした。
 
木製のフォーク式経緯台の作り方を参考にし、将来は赤道儀を自作しようと考えていました。しかしそう簡単に製作出来るものでもなく、その後、ただ転がったままになっていたのです。その筒を自宅から高崎に運んで来て、天文研の所有機材として寄付する事にしました。
 
接眼鏡は2個きりでしたが、焦点距離の違う望遠鏡が2本になったわけですから、高倍率から低倍率まで、観測対象も広がりました。
 
サークルですから、やはり合宿をしなくてはなりません。夏休み、弓道部の練習がない時期を狙い、みんなで清里に行く事にしました。私とS谷君が車を出し、O井君はオートバイ、残りは私とS谷君の車に分乗です。もちろん虎の子のAR-100SLも積み込んで。名前は忘れましたが、清里高原のとあるキャンプ場で2泊の計画です。
 
初日は雨、2日目もベタ曇りで結局星は見えませんでしたが、男ばかりの野営はとても楽しいものでした。
 
秋に開催される大学祭は、文科系サークルがひと稼ぎするチャンスです。我々天文研は、ホットドッグを作って売る事を決め、早速準備をしました。トースターはそれぞれが自分の部屋で使っているものを持ち寄り、パンとソーセージはは近くのスーパーに数をまとめて注文しました。マスタードやケチャップは、自分では絶対買わないハインツの大きなパッケージを買い、テーブルの真ん中に目立つように置き、「ご自由にどうぞ!」というわけです。我々が思っていた以上に評判が良く、途中でスーパーにパンを追加しなくてはならないほど、ずいぶんたくさん売れたのには驚きました。
 
しかし思ったほどの利益は出ませんでしたが、それでも接眼レンズなどを買い足す事が出来、天文研の財産が増えていきました。
(さらにつづく)

愛機になりそこねたMIZAR その2

2年生になった81年4月、天文研の最初の活動は、もちろん1年生の勧誘でした。弓道部の勧誘も気合いを入れてしなくてはならないわけですが、右も左もわからず不安げな新入生を捉まえては、「君、弓道部に入らないか?ダメ?じゃあ天文には興味ない?」なんて、かなり怪しい勧誘もしたものです。
 
そんな時、自分から「天文研に入りたいんですが」と言ってきた学生がいました。隣の前橋市出身のA井君でした。彼は高校時代にも天文部に所属していて、大学に入っても星をやりたいと思っていたのだそうです。
 
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当時人気の高かった、高橋製作所システム90赤道儀(鏡筒は90ミリセミ・アポクロマート)
 
大学の天文研ですから、さぞ機材も充実しているだろうとA井君は思っていたそうですが、半年前に出来たばかりのサークルで、手持ちの機材は口径100ミリの小さな望遠鏡1台きり。かなりガッカリしたようです。
 
しかもその望遠鏡は24回払いのローン支払中で、毎月私が4人の下宿を回って集金し、ようやく毎月の引落とし日に間に合わせていたというもの。モータードライブもなく、接眼鏡も2個だけ。
 
普段は私の下宿に組み立てたまま置いてあり、仲間が来ると庭に出して星を眺めていました。鏡面精度はなかなか良好だったようで、実にシャープな見え味でした。
(さらにつづく)
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