Across the Universe

天文ブログでスタートしたつもりが、いつの間にかB級グルメブログになり、さらにダラダラ日記に変化しつつあります。

2009年07月

八島湿原

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白樺湖を通り、美ヶ原高原に続く観光道路ビーナスライン。
その途中にある『八島湿原』(八島ヶ原湿原とも)です。

日本最古の屋外競技場遺跡と言われる、旧御射山遺跡(きゅうみさやまいせき)がそばにあります。
鎌倉時代、信濃や甲斐はもとより、遠く鎌倉からも武士が集まり、流鏑馬などの競技会が開かれて
いたとの事。諏訪大社下社の祭事場所として使われていた場所だそうですが、なんとなく神様に
近づいた気がするような、そんな感じのする場所でもありますね。

ビーナスライン建設を進める長野県企業局と、地元の貴重な自然と遺跡保護のために建設反対を
唱える諏訪の男たちの戦いを描いた、新田次郎の名著『霧の子孫たち』。
主人公青山銀河は、諏訪天文同好会会員で天文普及活動に力を注いだ、故青木正博氏がモデルに
なっています。

青木氏は、高度成長期に急速に進んだ光害から美しい星空を守るために結成された、日本星空を
守る会の初代会長でもありました。
環境保護運動の先駆者でもあったのです。

青木氏が中心に進めた、八島湿原と御射山遺跡保護運動の結果、ビーナスラインはそれらを迂回
して建設されたのです。

今もこうして八島湿原の美しい景色を楽しむ事ができるのも、青木氏をはじめ、この地区の自然
環境保護に取り組んだ先人達のおかげですね。

暑くなると、霧が峰高原あたりの涼しさが恋しくなります。
天気のいい日に、ちょっと涼みに行きたいものです。

頂きもの

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毎月一回、不眠症の薬を処方してもらうため、病院に行きます。

今日も診察の後、処方箋をもらって薬局へ。
毎回薬をもらっている薬局は、オーナーが作っている畑で、その日の朝に採れた野菜を
お土産(?)にくれるのです。

今日は完熟トマト1個と胡瓜が2本を頂きました。

早速夕食で食べさせてもらいました。
熟れたものを収穫したトマトの美味しさは、スーパーで売っているトマトとは数段違い
ます。

胡瓜も形は良くないですが、味が濃いですね。

山ほどもらうと、一人暮らしでは持て余しますが、このくらいだと大変ありがたい。
明日の朝食にも、胡瓜を頂く事にします。

私の中の東京

わかる人にだけ。

昔は・・・、
西野、いこい、オールド・ファッション、いかり亭、ホープ軒、ニュー・センター、武蔵境、
ICU、吉祥寺サンロード、広尾、東急文化会館、白鳥会館、宇宙センター、日本武道館。

ちょっと昔は・・・、
錦糸町楽天地、亀戸サンストリート、田町グランパークタワー、寿司田、有楽町、コリドー、
一ツ木通り、丸長、外堀通り、浜離宮、サンシャインシティと品川と赤坂のプリンスホテル、
湯島。

そして今は・・・、
言うまでもないですね。

驚いたのなんの!!

昨日は終日、長野で会議がありました。

夜は上田に戻り、朝松本に車で帰ってきたのですが・・・。

上田と松本の間にある三才山トンネル手前まで差し掛かった時です。トラックが横転し、
横に乗用車が停まっていました。
接触事故を起こし、トラックが横転したのでしょう。

ちょうどトンネル手前の法面を工事するため、片側交互通行になるところで、交通整理の
人がいて、横転したトラックの横で交通整理をしてくれ始めました。

トラックの横を越えてビックリ!
ブタが20匹前後、トラックの脇に固まって休んでいるのです!
そう、トラックの積荷は食肉用のブタさんだったのです。

ブタは逃げるそぶりも見せず、道路わきの草むらで休んでいました。

しかし、ブタはそこにいただけではなかったのです。

トンネルに入ると、妙に車の流れが悪い。
しかも100メートルほど先では、車線右に避ける車が見えます?

しばらく進むと、悠々と車道を歩くブタの一群に遭遇。

クラクションを鳴らそうが、パッシングをしようが、いっこうに気にするそぶりも見せず、
マイペースで松本方面に歩いています。

しかし危ない!
トンネル内で右車線にはみ出すなんて、絶対に出来ません。対向車が切れるのを見計らって、
数台がブタをやり過ごします。

いちばん先頭を歩いていたブタは、すでにトンネル半分くらいまで来ていました。

私がトンネルを越えたのが7:30前後でしたが、結局ブタ捕獲とトラック撤去のために、
トンネルが全面通行止めになったのが8:00。
なんとか始業に間に合う時間にアパートに戻れました。

しかし驚きました。
ブタさんというのは、極めてマイペースな生き物なのですねぇ・・・。

あんまり驚いてしまい、写真を撮るのを忘れてしまいました。
新聞社に送れば、たぶん間違いなく掲載されたでしょうね・・・。

そうそう、事故に遭った運転手さんは怪我をされたとの事、一刻も早い治癒をお祈りして
います。

ボブ・ホープ

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『バリ島珍道中(Road to Bali)』 1952年パラマウント映画

半世紀以上にわたり、世界中で愛されたコメディアン、ボブ・ホープ。

日本でも、戦後まもなく公開されたジェーン・ラッセル(グラマー女優として有名でした)と
共演したミュージカルコメディ『腰抜け二挺拳銃』(1948年)で、大人気を博します。
劇中で歌った“Buttons and Bows”が、『バッテンボーの歌』として有名になりました。
以前はこの『腰抜け二挺拳銃』も、テレビで何度か放送されたものですが、さすがに
公開から60年以上経ち、最近は放送されませんね・・・。

昭和ひと桁生まれの私の両親も、若い頃にはずいぶんボブ・ホープの映画を見たようです。
両親は“ボッブ・ホープ”と発音しますが、当時はそう呼ばれていたんでしょうか。

さて、写真の『バリ島珍道中』は、ビング・クロスビーとの軽妙な掛け合いで人気を博した
いわゆる“珍道中シリーズ”第6作としてヒットしたもので、シリーズ初のカラー作品です。
尋常でない女好きの二人(Bホープ、Bクロスビー)は、度重なるトラブルから、ついに
町から追い出されてしまいます。その二人が就いた新たな仕事が潜水夫。
海から引き上げた宝物を売りさばこうとする王女と共にバリ島に向かった二人は、またまた
トラブルを引き起こす・・・、というようなお話です。

いわゆるドタバタ喜劇ですが、この手のジャンルの映画は最近少ないのでしょうかねぇ。
観客を楽しませるという、映画に一番求められるものを直球勝負で行っていますから、
実に小気味がいい。

しかもこの二人の芸達者ぶり、マルチタレントなんて括りでは言えません。今の日本の
芸能人にはいませんね。ビング・クロスビーは、歌手としても超一流でした。

サービスに次ぐサービスで、笑いを止める暇もないという感じです。

1930年代から40年代にかけての人気は凄まじく、1年間に5本の映画に出演した年も
何度かあるほどです。

ボブ・ホープは非常に長寿で、2003年に満100歳で亡くなりました。
1990年代までは現役で活躍していたそうですから、ハリウッドでも1・2の長さの芸歴
でしょうね。

原村に行こう!

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歌うアクアマリン 2005年『サマーホリデーin原村星まつり』にて

さて、いよいよ来週末に近づいた『第16回サマーホリデーin原村星まつり』。
8月7日(金)午後5時スタートです。

今回もまた、大人から子供まで楽しめるイベントが盛り沢山です。

柳家小ゑん師匠による『星空落語』、アクアマリンのコンサートも、例年同様開催です。
“世界天文年”の今年のテーマは、『ガリレオが覗いた宇宙』です。

ガリレオ・ガリレイが、口径38ミリの屈折望遠鏡で天体観測を行ってから、今年が
ちょうど400年というわけです。

そのガリレオが覗いた宇宙を、現代ではより簡単に鮮明に見ることが出来るようになりました。
アマチュアが持つ小さな望遠鏡でも、色々な天体を見て楽しむ事が出来るのです。
夜の大観望会では、たくさんの天文ファンや望遠鏡メーカーが自慢の望遠鏡を持って集まり、
誰にでも気軽に覗かせてくれます。

ぜひ、原村にお出掛け下さい。

詳しくは星まつり情報HP↓
http://www.lcv.ne.jp/~kasugahi/

軽井沢シンドローム

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『軽井沢シンドローム』 たがみよしひさ作 1982-1985年ビッグコミック・スピリッツ掲載

大学に通っている頃に創刊されたビッグコミック・スピリッツは、当初は月刊でスタートし、
その後月2回刊となります。
『めぞん一刻』や『きまぐれコンセプト』等と共に、創刊期を飾ったマンガがこの『軽井沢
シンドローム』でした。

当時高崎に住み、上田に戻る際に通る軽井沢は、遊びの場所でありアルバイトに通う場所
でした。

その軽井沢が舞台で、しかも現地を取材して描かれた画のため、「あ、これはあそこだ」と
解るシーンが多くあります。作者のたがみ氏は、軽井沢高校卒業で小諸市在住。当然
軽井沢の事は、端から端まで熟知されていたはずです。

シリアスなシーンでは8頭身のキャラが、ギャグシーンでは2頭身に変化する独特の描き
方は、慣れない読者からは同一のキャラクターだと理解出来ない事があるようです。

毎回登場するキャラクターが多く、相関関係も複雑。連載当時よりも、こうして単行本を
一気読みすると、スピード感も増すこともあり、非常に楽しめる気がします。

クラス会

私の周りの人間は、あまり『クラス会』とは言いません。『同級会』ですね。
神奈川出身の知人は、いつも『クラス会』と言っていました。

たぶん、小学校や中学校時代、学年によってクラス替えがあった人は、『中学校1年生の
時のクラス会』とか、そういう意味で使うからかな?と勝手に解釈していました。

実は私、小学校も中学校も、クラス替えを経験したことがないのです。長野県では、
当時それが普通でした。現在は小学校で1回、中学校で1回クラス替えがあるようですが。

そんなわけで、同級生と言っても小学校は25人、中学は39人、高校は44人だけ。なので、
同級会を開催するとしても、3通りしかないわけです。

小学校の同級会は、もう30年以上開いていません。4年生までの担任の先生も亡くなって
しまいました。

中学校と高校の同級会は、それぞれ私が永久幹事をやっています。請われてなったという
よりも、たまには昔の仲間に会いたいからという、自分の希望でやっているようなもの
ですが。

今年の夏は、中学校の時の同級会を予定しています。

場所さえ決めてしまえば、今は宛名ソフトで簡単に往復はがきを作れますから、作業と
したらあまり手もかかりません。

しかし、同級生には数人、家族も含め全く返信もくれない人がいて、現住所どころか
生きているのかどうかも知れなくなっています(まあたいていは生きてるでしょうけど)。

別に忙しかったり、会う必要を感じないなら、無理に出てくる必要もないし、もしか
したら、本当は会いたくないと感じている人だっているんでしょう。

欠席なら欠席で、返信さえ戻してくれれば良いのです。
これから何年か経って、昔の仲間に会いたくなる事だってあるかも知れません。その時に、
行方知れずでは案内の出しようもありません。

まあ人それぞれ。
以前は、返事をよこさない人を「無礼なやつだ」と思っていましたが、最近は「そのうち
出てきてくれるかも知れないな」と思うようになりました。

年齢を重ねる毎に、だんだん人恋しくなるものです。
何十年と過ごした人生の中で、わずか3年間、一緒の時間を過ごしただけの仲間達ですが、
今またあらためて話してみれば、当時とは全く違う部分を知る事もあるものです。

さて、今回は何人参加してくれるのでしょう。
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